先週末の花冷えから一気に温かくなり、「春」ですね…
4月になり、巷では、初々しい新入社員があふれています。
頑張れフレッシュマン!

事務所の近くには、淀川の支流の大川があり、両岸はさくらの名所です。
“さくら”と言えば、学生の頃に習った徒然草のある段を思い出します。

「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは
雨にむかひて月をこひ たれこめて春の行方知らぬも なほあはれに情け深し
咲きぬべきほどの梢 散りしをれたる庭などこそ 見所多けれ
歌の詞書きにも 『花見にまかれりけるにはやく散り過ぎにければ』とも
『さはる事ありてまからで』なども書けるは『花を見て』といへるに劣れる事かは
花の散り 月の傾くを慕ふならひはさる事なれど ことにかたくななる人ぞ
『この枝かの枝散りにけり 今は見所なし』などはいふめる(以下、省略)

古文は専門ではないので、少し意訳(飛訳?)になっているのは、
お許しいただくとして、

「桜の花は満開のときだけがよいのか、月は満月のときだけが美しいのか?
雨で見えない月を想い、外に出かけないで春が過ぎていくのを想うのも
感慨深く趣があるものだ。今にも咲きそうな蕾の枝や、花びらが散った庭こそ
みる価値がある…」

学生時代、吉田兼好は随分、天邪鬼だなと思いました。
満開ではなくて、咲き始めや散った桜がいいなんて。
今、この年になって、しみじみと「あわれ」が少しわかるようになりました。
(学生時代は、「あはれ」の訳に四苦八苦してたけど・・・)

何でも、ピークのときだけでなく、はじめにははじめの良さ、
終り際には終りのよさがあるんだと…